無限に拡大解釈していくというのが、今の日本の著作権法と判例なんじゃないかと思うんですがいかがでしょうか。世界的な金融危機を招いた米国流資本主義と全く同じ道を辿っているように思います。
本来著作権の範囲は、 著作者が飢えない程度に抑え ないといけないものじゃないでしょうかね。要するにオリジナルを作った本人だけ。それに付随する流通やプロダクションをなぜ守る必要がある?公共性や文化や歴史に貢献というコンテンツの側面を、あえて法律側が無視しているようにしか見えません。著作者が死んだら、流通や配布を制限する合理的な理由はどこにあるのだろうかと、僕は思うのです。某糞ネズミとか。
なので「批評のための静止画」だろうが、「1行の引用」だろうが、訴えられる可能性はゼロではないんじゃないの?・・・と素人は愚考するもの也。起訴されたら、きっと裁判所というものは俺の言い分なんか一言も耳を貸さないで有罪にするんだろう。今はそうではなくても、法律は強者の言うなりに変わっていくのだから。